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『キリスト教信仰和讃』解説第5回

久し振りの『キリスト教信仰和賛』解説シリーズです。

箇所
その一の三、

三、人を大事にしているは、神を大事にするのです、
 人を粗末にしているは、神を粗末にするのです。

全文は『キリスト教信仰和讃』①にてご確認下さい。 http://kagenokuni.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_d7de.html

この箇所はわかりやすいようで解りにくい、理解出来るようで理解できない。そういう箇所ではないでしょうか。

この箇所を理解する為に大切なことは、この詩句のなかで「神」がどのような存在であり、また「神」と「人」との関係が、どのようなものであると考えられているかという事です。

上記の問いに関する答えは、前回取り上げた「その一の二」の詩句に求められます。すなわち「人は神の内に住み、神は人のうちに住む、魚と水との如くにて、人と神とは一体だ。」というものです。

この考えからすれば、今回の詩句には、なんら矛盾も無く、当然の事を述べていることが解るでしょう。

しかし、この詩句の作者である吉田清太郎牧師が、何故この当然の事をここで、敢えて述べているのかといいますと、それはこの詩句が子供たちに、或いはこの詩句のすべての読者、すなわち私たちに、「倫理道徳」を教示するという目的を持っているからです。

そうしますと、この箇所に示されている、「倫理道徳」は「人を大事にすること」「人を粗末にせぬこと」である事は明白です。

そして吉田牧師は「人を大事にすること」「人を粗末にせぬこと」の理由として、なぜならそれはそのまま神様にしている事になるからだと語っているのです。

このような論理は、この詩句の大前提である「天と心にすむ神」を知り、「人と神とは一体だ」ということを理解している人々にしか通用しないものです。

しかしその逆でいいますと、以上のことさえ理解してしまえば、この詩句は良く理解出来るのです。

なぜなら、「天に」住むと同時に、自分自身の「心に」神様が住まわれている事を知った人は、自分の周囲の人の「心に」も神様が住まわれる事を、ごく当然のように認める事ができるでしょうから。

また自分自身と「神とは一体だ」と知る人は、目の前の他者もまた神様と一体であることを当然悟るでしょう。

そのような人は「自分」と「他者」を区別しなくなるのではないでしょうか。

これこそ究極の「倫理道徳」であると私は思います。吉田牧師もまたこの事を教示しているのではないかと思います。

この「究極の倫理道徳」が、ごく限られた範囲ではありますが、私たちの通常の生活の中に見られることがあります。

それを私たちは「愛」と名付けています。

「愛」は「自分」と「他者」との区別を打ち消します。或いは溶かしてしまいます。

しかし私たちの「通常の生活の中に見られる愛」は非常に「限定的」であり、「一時的」であり、また「利己的」でさえあります。

「限定的」であり、「一時的」であり、また「利己的」であるもを「倫理道徳」とは呼べません。

ですから「愛」が「究極の倫理道徳」となるためには「普遍化」されなければならないのです。

ここに「普遍的な愛」の必要が提示されました。

「神は愛である」これは聖書が宣言する、神様についての最も単純で、最も美しい証言の一つです。

この「愛」そのもの、愛の源泉である神様が「天に」住まわれると、この詩句は教えています。

「天」とは、私たち人間が何処にいても、いつでも仰ぐことができる、「唯一つ」のものではないでしょうか。つまり「普遍的なもの」であるということです。

つまり「天にすむ神」とは「普遍的な愛の源泉」であり、私たちは「天にすむ神」を知った時、初めて「普遍的な愛」をも知ることができるのではないでしょうか。

これは「科学的な事実」の話しではありません。私たちの「経験的な事実」の話しです。

詩句とはそもそも、「科学的な事実」を説明するものではなく、その言葉の持つ雰囲気や手触りといったものを通して、「普遍的な何か」を表現するものなのではないかと私は考えます。

以下は今日の反省

この詩句の作者である吉田牧師は、もっと解りやすい、はっきりとしたメッセージを持ってこの詩句を書いたのだと思います。

私の未熟のせいで、この詩句のすばらしさが損なわれてしまわないように、ひたすら祈るのみです。

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