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世界を変えることはできますか?

つい先ほどフジテレビ系のTVドラマ『わたしたちの教科書』の最終回を観終えました。

この記事は、その最終回を観終えた時点で私の心に思い起こされた、「私の個人的な確信」についての記事です。

その「私の個人的な確信」とは「物語の持つ力」に関する確信です。

すぐれた物語は世界を変える力を持っている。これは私が十代の頃から確信している事柄です。

私はその後、『聖書』に出会い、キリスト教信仰を告白する者になりましたから、ある意味では『聖書』こそ、今この時も、まさに世界を変え続けている「最高の物語」であることを信じています。

しかし、それとは全く別の次元で、今なお私は「物語の持つ感化力」を信じています。

「芸術的表現のみが『教育的影響をもたらすために欠かせない二つのものを持っている。それは、〈普遍的重要性と即時的魅力〉だ。』芸術表現には、古代ギリシア人がプシュガゴーギア(言葉によって魂を導く技)と呼んだ力があります。輝かしさの中における崇高なもの、存在の象徴やより優れた秩序を表現することなどを通してそれが起こるのです。だからといって、聖書が持つ基本的かつ固有の重要性が損なわれることは決してありません。」                              ジェームズ・フーストン著『喜びの旅路』(いのちのことば社)より。 

「物語」とはすなわち「アレゴリー」です。そしてCSルイスはその著書の中で次のように述べています。

「アレゴリーが最高のものであるとき、それは神話に近づく。」

「神話は天与の食物のようなものだ・・・・・それは人それぞれに異なった、また人それぞれに必要な食物である。それは古くもならないし、さまざまな民族、哲学、あるいは性別の国境で立ちどまることがない。それはまた同じ人間から同じときに、次元の異なったさまざまな反応をひきだすことができる・・・・・」

「私は、すぐれた神話はアレゴリーよりも高次のものだと考えます。作者はアレゴリーの中に、彼がすでに知っていることを投入することができますが、神話の中にはまだ知らないこと、他の方法では知りえないことを盛るのです・・・・・」

これらの言葉から、私はすべての物語は「神話」となるように意図されて語られるべきであると考えます。もちろんそれは殆ど実現不可能なことでありますが。

またルイスは、「作品の意味」と「作者の意図」をはっきりと区別していますから、作者の意図に反して、物語が「神話に近づく」ことが起こりうると私は思います。

ともかく、わたしは「世界を変えることはできますか?」この質問に対して、こう答えることにしたいと思います。

「世界を変えることはできる!」すぐれた「物語」がそれを成し遂げるだろう!いや、すでに数え切れないほどたくさんの「物語たち」が、世界を変え続けているのだ。

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