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「形骸化」と「新生」について

あらゆる組織が「形骸化」する。

けいがいか【形骸化】別ウィンドウで表示
(名) スル 誕生・成立当時の意義や内容が失われたり忘れられたりして、形ばかりのものになってしまうこと。

これは誰もが納得する、いうなれば「公理」であろうと思う。

それではなぜ「形骸化」は起こるのだろうか?

この問題についてだけでも充分に興味深い議論になると思われるが、今回は深入りはせず、根本的な話題に移りたいと思う。

私には熱力学の専門的な知識があるわけではないので、そのような専門的なフィールドで議論をするつもりは無い。しかし現在多くの人々が「エントロピー」という言葉を用いて語っているように思う。

そして多くの人々は、この世界が「絶えず崩壊の方向へ進んでいる」ことを経験的に確信している。

私は「形骸化」という言葉が気に入っています。

組織から「いのち」が失われ「形骸(けいがい)」すなわち「骸(むくろ)」へと変わって行く雰囲気を、良く表しているように思うからです。

我々人間もまた、刻一刻と確実に「死」へと向かっている。

ある意味では、毎日「死に続けている」とも言えます。

あらゆる物質(生物も含む)が「古くなり」やがて「腐敗し」最後には「崩壊」する。或いはあらゆる組織から「絶えず秩序が失われ」「混沌へ向かう」という、そのような「目には見えない力」がこの世には存在しているように思える。

しかし私たちはこれらの「崩壊、混沌へ向かう力」に対抗する、もう一つの「目には見えない力」が存在する事も、経験的に知っているのである。

私たち人間の体細胞は、「毎日死んでゆく」のであるが、それに代わる新しい細胞もまた「絶えず生まれて」いる。

つまり、ある意味では私たちは「毎日生まれている」のである。

これは「一瞬一瞬、新しく生まれている」とも言えるでしょう。

人間、或いは生物以外の「社会的組織」ではどうであろうか。

あらゆる「社会的組織」は、「一瞬一瞬、新しく生まれている人間」の集合からなっているのであるから、やはり「絶えず新しく生まれている」と言えるはずなのである。

私たちが「歴史的視点」を持つ時「形骸化」した組織が、「再生」するのことをはっきりと知る事ができる。

小さい例を挙げればきりが無いので、歴史上もっとも有名な「社会の再生」を例に挙げたいと思う。

その社会的再生とは「ルネサンス(直訳すると再生)」である。

私たちの目には「形骸化」したまま「再生」せず、「崩壊」してしまう組織も確かに存在するように見える。

しかし、そんな「無数の小さな崩壊」を包み込むように、社会全体に「いのち」が吹き込まれる出来事が歴史には確かに起こるのである。

「ルネサンス」はその代表的なものである。

また私たちの人生においても「無数の小さな崩壊」を覆う、「ルネサンス(再生)」が起こる事をも、私たちは経験的に知っているのではないだろうか。

そのような人生の刷新は、もはや再生とではなく「新生」と呼ばれるべきである。

全く語りきっていない感がありますが、ひとまず就寝。。

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コメント

「毎日死んでゆく」ことも、
「絶えず生まれている」ことも含め
世界の営みは思いっきり“豊か”ですよね。

投稿: ちむや | 2007年6月14日 (木) 21時38分

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