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『キリスト教信仰和讃』解説第6回

またも久し振りのこのシリーズとなりました。

箇所
その一の四、

四、小さい小さい親切も、天と心に住む神は、
 一つ一つ喜びて、一つ一つむくいます。

全文は『キリスト教信仰和讃』①にてご確認下さい。http://kagenokuni.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_d7de.html

前節の解説に於いて私は、この詩句が「子供たちに、或いはこの詩句のすべての読者、すなわち私たちに、「倫理道徳」を教示するという目的を持っている」という事を書きました。

そしてこの箇所は前節で示された「人を大事にすること」をさらに奨励する詩句となっています。

言うまでも無いことであるが、ここで吉田牧師は「小さい親切」を奨励しているのではなく、その大小に関わらず「親切」を行うことを勧めているのである。

ここで、第三回の「どこにても」の箇所で解説したことを思い出して頂きたい。私はそこで「この「どこにても」には「空間的な」意味と共に「時間的」意味が含まれているように思われます。即ち『いつでも何処でも、絶えずそうしなさい』という意味で」言われているのであると解説しました。

この文脈の中で言われている「親切」もまた『いつでも何処でも、絶えず』行うことが奨励されていると考えて良いと思う。その意味も含めての「小さい小さい親切も」という詩句なのである。

私は、本来「親切」に大小は無いと考える。というよりは、人間が自分の「あらゆる行為(それが善であれ悪であれ)」について、自分自身で大小を測ることは出来ないと考えているのです。ある場合には、私たちにとっての「小さい親切」は、その「親切を受ける側の人間」にとって、人生を変えるほどの大きな影響を持つかも知れない。また逆に、私たちにとっての「大きな親切」が、文字通り「大きなお世話」となる場合もあるのである。

上記の理論を「悪」あるいは「罪」について当てはめることは、興味深いことではあるけれども、今回の主題からは離れるので控えることとする。

この箇所でも中心的な言葉(主語)は「天と心に住む神」である。

この詩句を理解する為には、是非ともこの「天と心に住む神」を理解する必要があるのです。このことの具体的な内容については、前回までの解説の中でも詳しく触れています。

今回の箇所の「主語」が「天と心に住む神」であるとすると、「述語」は「一つ一つ喜び」「一つ一つむくい(る)」という、二つの「動詞」です。

上記より、この二つの動詞は「神の動詞」であるといえるでしょう。

ここに於いて私がどうしても語りたいことは、この詩句に於いて私たちが仰ぐ神は「動かざる神」ではなく「活動する神」であるということです。

今回の箇所で語られている「神の活動」は私たちの行う「親切」を「一つ一つ喜ぶ」ことと、その「親切」に「一つ一つ報いる」ことである。

この「神の活動」に思いを馳せ本日は閉じたいと思う。

今日も語りきっていない感たっぷりで次回に続く。

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