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続・言葉の荒廃について

「言葉の荒廃」について、昨日はユージン・H・ピーターソン(によるC・S・ルイス『悪魔の手紙』)からの引用を紹介した。

ここでは前回の引用を導入として、「言葉の荒廃」について考えてみたい。

だがその前に、親愛なる新渡戸稲造先生もまた、名著『武士道』の中で、この「言葉の荒廃」というテーマについて述べている箇所があるので、ここに引用したいと思う。

「私はしばらく「義理」について述べよう。これは義からの分岐と見るべき語であって、始めはその原型(オリジナル)から僅かに離れたに過ぎなかったが、次第に距離を生じ、ついに世俗の用語としてはその本来の意味を離れてしまった。義理という文字は「正義の道理」の意味であるが、時をふるに従い、世論が履行を期待する漠然たる義務の感を意味するようになったのである。その本来の純粋なる意味においては、義理は単純明瞭なる義務を意味した――したがって我々は両親、目上の者、目下の者、一般社会、等々に負う義理ということを言うのである。これらの場合において義理は義務である。何となれば義務とは「正義の道理」が我々になすことを要求し、かつ命令するところ以外の何者でもないではないか。「正義の道理」は我々の絶対命令(カテゴリカル・インペラティブ)であるべきではないか。 ・・・中略・・・私の見るところによれば、義理は偶然的なる生まれや実力に値せざる依怙(えこ)ひいきが階級的差別を作り出し、その社会単位は家族であり、年長者は才能の優越以上に貴ばれ、自然の愛情はしばしば恣意的人工的なる習慣に屈服しなければならなかったような、人為的社会の諸条件から生まれでたものである。正にこの人為的の故に義理は時をへるうちに堕落して、この事かの事――例えば母は長子を助けるために必要とあらば他の子どもを犠牲にせねばならぬのは何故であるか、もしくは娘は父の放蕩の費用のために貞操を売らねばならぬのは何故であるか等々を、説明したり是認したりする時によびだされる漠然たる妥当感となったのである。私見によれば、義理は「正義の道理」として出発したのであるが、しばしば決疑論に屈伏したのである。」

長らく引用したが、この文章に於いて新渡戸先生が仰っている「義理の堕落」は、ピーターソンの言葉で言えば、そのまま「義理」という「言葉の荒廃」を意味しています。

またこの引用文の中には、何故この「言葉の荒廃」すなわち「言葉の堕落」が起こるのかということについて重要な示唆が含まれています。

それは「正にこの人為的の故に義理は時をへるうちに堕落して」との言葉です。

ルイス、そしてピーターソンは「言葉の荒廃」を「悪魔の働き」として意識していました。私はその意見に全く賛成であります。

ここでは「悪魔」などというものが、本当に存在するのかという議論は、一旦控えたいと思います。しかし、ただ一点はっきりと言える事は、「悪魔」という存在がもし存在するのであれば、その目的の一つは「人間を堕落させる」ことであるという事です。

人間の堕落については、以前《「エントロピー」に対抗する力》というタイトルで少し触れました。http://kagenokuni.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_810c.html

「悪魔」=「エントロピー」であるという乱暴な主張は勿論しないまでも、この二つはある程度、結び付けて考えて良いものだと思う。少なくとも私の用いる用語としては明らかに関連付けて考えている。その上で付け加えておきたい事は、私の考える「悪魔」とは、単なる「何がしかの力」というような存在ではなく「人格的な存在」である。

話しがわき道にそれてしまい申し訳ない。

先程述べたように新渡戸先生は「義理の堕落」すなわち「言葉の堕落」は、「人為的」すなわち「人間の手による」が故に起こったのだと考えていたようである。

次回はこの辺りをさらに詳細に考えてみたいと思う。などと言いつつ勝手に続く。。

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