We killed them. ―我々が彼らを殺したのだ―
前回の記事では『We killed him.―我々が彼を殺したのだ―』と題して映画『マッド・シティ』のレビューを書いた。
「We killed him.」これは劇中のダスティン・ホフマン演じるマックスの最後の台詞であった。
この台詞が、ここ数日私の頭に張り付いて消えない。
そしてその言葉は、私の中で「We killed them. ―我々が彼らを殺したのだ―」という言葉に成長した。
数日前の記事で、私は聖書のエゼキエル書33章6節の「みことば」についての、私の個人的な黙想を取り上げた。
その「みことば」の中に「血の責任」という言葉が使われている。
つまりここ最近の私の個人的な関心は、この「血の責任」という言葉に集中しているということだと思う。
今この瞬間も世界では多くの「血」が流されている。これは戦争や紛争でというだけではない。勿論そのような意味でも多くの血が流されているが。
例えば先の記事では、障害者の方々への差別の問題についても「血を流す」行為であると解釈しました。
或いは、現在の社会制度、取り分け後期高齢者医療制度に代表される、弱者に痛みを強いる福祉制度の不合理によっても「血」は流されていると、私は考える。
年間で3万人を超える自殺者の問題、増え続ける高齢者の孤独死、豊かな国日本における餓死者、虐待を受けている子どもたち、数え上げれば切りがない。
このように流され続ける「血の責任」を、私たちはいつも、つい「誰か」外側の人間に対して、求めてしまいがちである。しかし真実はどうであろうか。
「We killed them. ―我々が彼らを殺したのだ―」
私はこう叫ばずにはいられない。
そして私たちが、まず何かを始めなければならないのではないだろうか。
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