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障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例

という素晴らしいネーミングの条例を見つけました。

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/tibasyougaisyajyourei.htm

千葉県出身者の私としては、とても誇らしい気持ちになりました。

この条例の素晴らしいのは名前だけではありません。

第二条に次のように謳われています。

『 この条例において「差別」とは、次の各号に掲げる行為(以下「不利益取扱い」という。)をすること及び障害のある人が障害のない人と実質的に同等の日常生活又は社会生活を営むために必要な合理的な配慮に基づく措置(以下「合理的な配慮に基づく措置」という。)を行わないことをいう。』

つまり、障害のある人に対して「不利益を及ぼす」という”積極的”行為のみを「差別」と考えるのではなくて、「配慮した措置(行動)を行わない」という”消極的”態度もまた、「差別」であると考えているのです。

私はキリスト者であるので、極端な表現ではあるが、この「差別」という言葉を「罪」という言葉に置き換えて考えてみたいと思います。

すなわち、現実にある「差別」や、そこから発生する「理不尽な悲しみ」を、私たちが「対岸の火事」と見て、”積極的”な解決行動を取らないとすれば、それは「罪」である、ということではないでしょうか。

聖書によれば「すべての人間は罪人である」ので、このことによって他者を責めることの出来る人間は一人もいません。ただ、その「罪」を、日々の生活のなかで「悔い改め」て、自分にも”積極的”な行動が何か出来ないであろうかと、私自身が想いを巡らすのみです。

ここで、一つの聖書の言葉を個人的に黙想してみたいと思います。

しかし、見張り人が、剣の来るのを見ながら角笛を吹き鳴らさず、そのため民が警告を受けないとき、剣が来て、彼らの中のひとりを打ち取れば、その者は自分の咎のために打ち取られ、わたしはその血の責任を見張り人に問う。

聖書の「エゼキエル書」33章6節に書かれている言葉です。

この場合、「剣」は神のさばきであるので、今回の話題である「差別」や「理不尽な悲しみ」とは直接に結びつくものではありません。しかしこの世の「すべての悲惨」が、究極的には人類の罪に起因するという、聖書的な世界観に立つならば、或いは、そこまで極端には考えないにしても、「差別」自体を、「人類の普遍的な罪性」の現れの一形態であると考えるならば、「剣」は「差別によって起こる理不尽な悲しみ」であると私には思えます。

このような黙想には、「その者の咎」を「被差別者の咎」と誤解されてしまう危険性があることを十分に自覚して、注意して個人的な黙想を補強したいと思います。

ここでの黙想においては「その者の咎」とは、勿論「被差別者の咎」などでは断じてなく、むしろ「剣」である「差別によって起こる理不尽な悲しみ」を招いている「咎」、すなわち「人類の普遍的な罪性」であり、この「咎のために」、理不尽にも「被差別者」である「障害のある人」が「打ち取られ」る、すなわち人間としての尊厳を踏みにじられるという「悲惨」の中におかれるということであり、文脈的には、「血を流す」ということです。

聖書の神は、その「血の責任」を、「見張り人」すなわち、”積極的”な解決行動を取らなかった私たちに問うと宣告しています。

繰り返しになりますが、これらの内容は、社会人としても、キリスト者としても、まだまだ未熟である私の個人的な黙想です。

私の意図は、現実にあると考えられる、障害のある方々に対する差別についての「個人的な反省」を、この文章を読んでくださる方々と分かち合いたいというものでしたが、内容が、決して単純でも、軽いものでもありませんので、この文章を読んで、異論をお持ちになる方、或いはお怒りさえ抱かれる方がいらっしゃるかも知れません。万が一そのようなことがあった場合には、心よりお詫びを申し上げます。

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