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進化論と創造論について

おもにアメリカを中心に進化論と創造論の論争というものがある。

この論争について、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「創造科学」の項には「キリスト教根本主義による創造論から生まれたものであり、聖書(主として『創世記』)に記されている神による天地創造は記述どおりの事実であるとし、地球・宇宙の誕生に関する事象は聖書からより科学的に説明できるとする論説。科学と称するが、反対する立場からは反証可能性を持たない疑似科学とされる。」と記されている。

この中で使われている「キリスト教根本主義による」という言葉には少なからず偏見を感るのに加え、「反対する立場からは反証可能性を持たない疑似科学とされる。」という表現も、「反対する立場」である、おそらく「進化論の立場」は、完全に科学的であるという印象を与えアンフェアであると感じる。

私は、科学については素人ではあるが、キリスト教信仰の立場からすれば、決して根本主義と揶揄されるような偏ったものではないと自負している。ここでは、このような立場から、この論争を取り上げてみたい。

私と同じくキリスト教の信仰を持っている方の中には、この問題に真摯な関心を持っている方々も多数おられることと思うが、一般的には全く関心を払われないか、このような論争があることすら知らない方がほとんどであろう。

これについては日本の学校教育の問題も大きいのであるが、日本においては、進化論はあたかも実証されている、ある種の法則のような扱われ方をしており、進化論を信じていない者は、非科学的な人間であると決め付けられてしまう風潮が強い。

ここまでで恐らくご理解頂けているとおり、私は進化論を信じてはいない。

ここで「信じる」という言葉をつかっているのは、進化論が現時点で「仮説」でしかなく、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』において「実証の難しい現象であるが、生物学のあらゆる分野から進化を裏付ける証拠が提出されている」などといわれながらも、実際現在のところ、進化とよべるような現象は全く観測されておらず、進化がもしおこるとしても、それが一体どのようにおこるのかというメカニズムについても、それぞれの研究者が「新しい仮説」を繰り返しているに過ぎないからである。

しかも、この研究者たちは、何故か進化は間違いなく起こったということを前提として確信しており、それこそ何かにとりつかれたように研究を重ねているように、私には思われてならない。

私は科学には疎い者ではありますが、進化論には大きく分けて二つのテーゼが存在すると思う。

私の言葉で言えば、二つのうちの一つは「生物は進化する(ここで言う進化とはある種の動物が環境に適応して毛が長くなったとか短くなったというレベルではなく、アメーバがトカゲに進化したり、魚が鳥に進化したりというもの)」というものであり、もう一つは「生命の起源は偶然にある」というものである。

間違っていれば申し訳ないのであるが、私には、進化論の研究者たちは、上記の2点については、自明の理であって、後はそれがどのように起こったのかを説明すれば良いという前提のもとに、莫大な努力を費やしているように思えてならない。

しかし、それで本当に正しい答えにたどり着けるのだろうか?

使い古されたたとえにはなるが、それは「最初のボタンの掛け違え」ということにならないだろうか?

とまあ、科学の素人である私にはこの問題についてはこの程度のことしか書くことは出来ないが、このテーマに関してYouTubeで面白い動画を見つけたので是非紹介したい。

http://jp.youtube.com/watch?v=P0oT-g_ihNs&feature=related

このURLは「創造科学セミナー 第一」のもので、本編は「第十五」まであるのでこのテーマに関心があり、時間のある方は是非全て見て頂きたい。(ちなみに、このセミナーの講師であるケント・ホヴィンド博士は進化論が宇宙の存在と生命の起源を説明できる、 唯一の可能な理論であるという実験的証拠を見つけた者に25万ドルを支払うという公募を行っている http://www.drdino.com/articles.php?spec=67&kws=250,000

クリスチャンである私にとっては非常に興味深く納得の行く内容であったが、万人が私と同じ感想を持つことないであろうと思う。

最後に、この分野で私と同じ立場から啓発活動を行っているHPを2つほど紹介して閉じたい。

『クリエーションリサーチ』 http://www.sozoron.org/home/

『創造科学』 http://www.ne.jp/asahi/seven/angels/

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コメント

相変わらず興味深いテーマを扱いますなぁ。

しかしそんな単純な論争でもないのかなとも最近は思うようになった。
18世紀の啓蒙思想は科学者たちをより理神論かつ無神論に傾けたと言われている。
いわゆる理性ですべてを知る(判明する)ということ。
創造科学などの自然神学という分野も起こり、聖書をより研究材料として扱われるようになった。
今では「へぇ~」と言えることも当時のキリスト教世界ではあり得ないこと、神への冒瀆(聖典に対する)と捉えたのではないかな。
「キリスト教根本主義による創造論」というのは精確さを欠いている。根本主義は19世紀から20世紀の米プロテスタントの保守的な福音主義であって、彼らは創造論をもって理神論に論駁できているわけではない。
そして現在は少しアレルギーになっている気がする。

今は遺伝子研究も進み、もはや学界では進化論信者はほぼ皆無である。科学は啓蒙主義によって大きく進歩したものの科学そのものが反キリスト教ではないはずである。そういった意味では今日の創造科学研究は少し距離をとりながらも興味深い事由だと思う。

とりわけ慎重な吟味が必要なのは言うまでもない。

投稿: NOB | 2009年1月22日 (木) 23時39分

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