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わが国の学校教育の問題について

昨日、「進化論と創造論について」の中で「日本の学校教育の問題」が大きいと書いたことについて幾人かの方々に誤解を与えたようなので今日はこの点についての私の考えを述べたい。

前段の「誤解」の内容とは、私が「日本の学校教育において、キリスト教教育、特に創造論や創造科学についての授業を持つべきであると考えている」という内容であったように思う。恐らくはそのために、「キリスト教だけ特別扱いするのはおかしい」という内容の指摘もあった。

上記は大きな誤解であって、そのような趣旨は記事の中に全く書かなかったつもりであったが、そのような印象を与えたのであれば私の文章の未熟であったと反省するところである。

そこでまず、私が昨日の記事の中で、「日本の学校教育の問題」と表現した内容についてであるが、それは記事にも書いたとおり「進化論」が「あたかも実証されている、ある種の法則」のように教育されている点である。

この問題は、なにも進化論に限ったことではなく、いわゆる「歴史教科書問題」と呼ばれる歴史の認識や解釈をめぐる問題についても同じことが言えると私は考える。

解りやすく言えば「議論を無視して、一方の考え方だけを無批判的に受け入れさせる教育」なのであり、しかも、教科書問題については「一方」に都合の悪い意見を、かなり強引な方法で、しかもあからさまに排除している。

上記のような問題も、現在まさに論争が行われている最中であるので、進化論と創造論の問題と同じく、どちらが正しく、どちらが間違っているということを単純にいうことが出来ない問題である。

私が考える、「日本の学校教育の問題」とは、まさにこの「単純に決めつけることの出来ない、そして決めつけるべきでない内容を、単純化して知識として一方的に教育している」点である。

ここでは二つの大きな問題が生じる。

第一に、このような教育のなかで育った人間は、批判的にものごとを学ぶという「批判的、批評的な思考」を持たない。第二に、ものごとには多様な側面があり、多種多様な考え方の人間がいるということを理解する「想像力」を持たないという問題である。

上記の二点を、分かりやすい一つの言葉で表現するならば「客観性」ということになろうと思うが、これもまた私が批判している「単純化」であるから注意しなければならない。

つまり反対に、私が求める教育とは「複雑なものは複雑なものとして」教育することであり、「議論がある内容については、その議論そのもの」を提供して、学習に発展を持たせる教育である。

いわゆる「総合学習」の創設のきっかけとなった、第15期中央教育審議会の委員の1人である児島邦宏氏は、その著書の中で、知識の存在形態には、「○○はこれである」「△△とは何々である」という「知りえたもの」(これを「内容知」という)と、「知識や技能自体をどのように獲得していくかという学習の方法に関わる知の形態」(これを「方法知」という)の2つがあることを指摘している。

上記の私が求める教育の姿は、児島氏の言葉を借りれば「方法知」に関する教育であるということが出来るかもしれない。しかし、そのためには「総合学習」の時間を創るというだけでは不十分である。問題は日本の学校教育、即ち日本の文部科学省の学校教育に関する教育方針を、現在のような「国家の経済成長に役立つ人間を育てる」という方向から、真に「想像力と問題意識を持って自ら考え学び続ける人間を育てる」方向へと変換しなければならないという点であると私は考える。

実は「想像力と問題意識を持って自ら考え学び続ける人間」とは、私自身が目指す人間像であり、これと同じ意味を持つ言葉として、以前の記事である「対話的または弁証法的存在として」の中では「弁証法的な自分」と表現している。

同じ記事の一番最後に書いている言葉は、このブログについての私のポリシーでもあるため、最後に引用して閉じたい。

『自分の気付いたことや考えていることを分かち合う。それは、大切であり、また素晴らしい経験ではあるが、「受け手である他者」が寛容に自分を受け入れ続けて下さることを信じて、初めて出来ることではないかと思う。』

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