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プロメテウスは祈らない

E・H・ピーターソン著『牧会者の神学』から、祈りについての私のお気に入りのたとえを紹介したい。

アイスキュロスによる「プロメテウスの物語」によれば、原初における人間存在の本質的特徴とは、一人一人が自分の死ぬ日を知っていたことにあったという。換言すれば、人間は自らの限界を知っていたのである。

そしてギリシャの神々は気まぐれで残酷だった。彼らは多くの知識や手段を持っていたが、それを人間に与えようとはしなかった。この物語における人間の根本的な経験とは「死と暴虐の経験」にほかならない。

神々のひとりであったプロメテウスは、どういうわけかこのような人間の惨状に同情を寄せるようになり、同時に神々のかしらであったゼウスに対して怒りを覚えるようになった。そして彼は人間の状態を改善するために3つのことを行った。

第一に、プロメテウスは「死の日」についての知識、限界という感覚、死についての意識を、人間から取り去った。死という気のめいる意識から解放された人間は、今やあらゆることを企てることができるようになった。

第二に、プロメテウスは「人間を無目的な希望の中においた」のである。彼は男も女もこれまで以上の存在となるように、努力し、背伸びをし、野心家であれと励ました。

第三にプロメテウスがしたことは、神々から火を盗み、それを人間に与えたということである。この贈り物によって、人間は料理をしたり、武器を作ったり、陶器を焼くことが出来るようになった。「テクノロジーの世界」が始まったのである。

人間は神々のもつ知恵や先見性をもたぬまま、神々のもつ技術だけを手にしたのである。

当然ながらゼウスは激怒し、プロメテウスを遠く離れた山の岩に鎖で縛りつけて罰し、焼けつく太陽と冷たい月のもとにさらした。

プロメテウスは自分のしたことを後悔しなかった。彼は挑戦的だった。

この物語は悲劇である。人間はプロメテウスによって、文明的な生活と共に苦しみの原因を与えられたのである。

プロメテウスは勇敢で、大胆で、思いやり深く、知的な存在であり、人間にとって生きるということの水準を向上させた。しかし、将来への洞察と自己認識の訓練を伴うことなく、ただ野心と道具だけを人間に与えたことの結末を、プロメテウスは岩に縛りつけられたまま見せつけられることになったのである。

これは西洋文明というものを表象する物語である。ヴェルナー・イェーガーは、この神話を、人間的本性の悲劇を描いたもっとも偉大な表現であると述べている。

しかし、人間は悲劇を好まない。

現代はまさにプロメテウス的な時代である。現代の神話を作りだす人々は、それを悲劇としてではなく勝利の物語として語る。プロメテウスが神々から火を奪う場面だけが、すなわち技術、エネルギー、そして道具の始まりの部分だけが抜き出されており、死についての記憶喪失、目的の定まらぬ野心、日ごとに繰り返される苦しみといったことがらは、そこから削除されてしまっている。

神に対抗するような野心に満ちた傲慢なプロメテウス的な精神に対抗する手段は祈りである。

旧約の詩人はうたっている。「自分の日を正しく数えることを教えてください。」詩篇90:12

これに呼応してルターは次のように叫んだ。「主よ!(生涯の日を数えることにおいて)私たちすべてが熟練した算術家であることができますように!」

当然のことながら、プロメテウスは祈らない。「なすべきこと」はあまりにも多く、それらを行う時間はあまりにもわずかなのだから・・・・・。

※E・H・ピーターソン著『牧会者の神学』からなるべく忠実に引用しましたが、途中表現を変えたり、詳細な解説を省いています。

この物語から私たちが学ぶのは、私たちはこのプロメテウス的な(テクノロジーと無目的な野心の支配する)世界から来る悲劇から身を守るために、人間としての限界(それは究極的には必ず死すべきものとしての人間存在)を意識して生きるべきであるということ。そして、それは、立ち止まって神に祈ることを通してしか与えられないということである。

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