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任命責任

以下は2月19日の中日新聞、朝刊コラム中日春秋の記事である。

「経済財政担当相兼財務相兼金融担当相」。与謝野馨さんの新たな肩書だ。何となく「三菱東京UFJ銀行」を思い出した。従前からの肩書に加えて、後ろ二つの大臣を兼ねることになったのは、その役にあった中川昭一さんがローマでの記者会見で演じた失態の責任を取り辞任したため。カネの問題や失言などによる引責辞任ならともかく、「風邪薬」のせいでというのは、何というか新機軸である。ただでさえ、支持率低迷で苦境にある麻生首相だ。まさに弱り目に祟(たた)り目としか言いようがないが、自民党内でも麻生批判が一層強まり、当然のように野党からは「任命責任」を問う声が上がっている。それはもっともだろうが、ふと考える。では、その麻生さんを首相に選んだのは誰か。自民党総裁に選んだのは自民党員だが、首相になったのは国会での投票の結果。だから「任命責任」は国会議員にあると言ってもいい。しかし、もう一段遡(さかのぼ)り、では、その国会議員を選挙で選び、そういう状況を国会につくり出したのは誰か。認めざるを得ない。それは、われわれ有権者。「任命責任」は最終的にはそこに行き着くとも言える。政権迷走は極限に近づき、今度の一件で早まったのか遠のいたのかさえ判然としない総選挙だが、遅くも今秋にはある。「任命責任」を思って、今度使う一票には今から磨きをかけておきたい。

この記事を読んで、全くその通りだと頷く反面、なにかトラブルや意に沿わないことが起こると、とかく他者に責任を押し付けがちな自分に反省させられた。

私たちは他者の無責任を責める前に、自分自身を省み、自分自身、与えられた社会的責任を果たしているか吟味してみる必要があるのではないだろうか?

勿論、為政者たちには大きな権威が委ねられているのであるから、それに見合う責任を負う義務がある。

キリスト者である私は、政治に無関心であってはならないと私は考えている。同時に、メディアと同調して彼等を責めるだけではなく、為政者たちのために真剣に祈る必要もあることを改めて反省させられた。

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独白ではなく、対話として・・・」カテゴリの記事

コメント

作家の村上春樹がエルサレム賞を受賞した時にイスラエルのガザ侵攻を批判したニュースはつい先日のこと。
彼のスピーチを注意深く聞いていて思ったのは、受賞を辞退するよう勧める声が多かったので、自分はあえて反対の立場をとったと言った。あえてイスラエルのガザ侵攻を批判するために。それは作家としての誇りなのか、勇気ある行動として眼に映る。決して真似できることではない。宿への帰り道も危険だし、あるいは日本に住む家族にも危険が及ぶかもしれない。しかし戸惑うことなく流暢な英語で語る彼のスピーチにその場にいた人たちは心を動かされて立ち上がり拍手が沸き起こった。

遠く離れた地での受賞式の場で、賞を受けるためよりも世界にメッセージを発するために赴いた彼の勇気を称える。それと同時にキリスト者として常に保守的な道を探すような者であってはならないと思う。

投稿: NoB' | 2009年2月22日 (日) 17時24分

NoB'さん
コメントありがとうございます。

村上春樹氏の態度は本当に立派だったと思います。同じ日本人としても誇らしいですね。

>キリスト者として常に保守的な道を探すような者であってはならないと思う。

同感です。
さらに加えるとするならば、保守的なクリスチャニティーは、政治的に保守的なキリスト者とイコールではないと僕は考えています。
つまり保守的なクリスチャニティーとは、時代の精神に同調しない、普遍的な信仰的立場を持つキリスト者を意味しており、従って保守的なクリスチャニティーは、どの時代においても政治的、或いは道徳的にラジカルな存在である。
そのような意味での保守的なクリスチャニティーでありたいと僕は願っています。

投稿: トイフェルスドレック | 2009年2月23日 (月) 01時03分

「任命責任」を深い意味で書かれていますね。鋭い視点だと思います。
同じ日に、お互い同じようなテーマで記事を書いていてびっくりしました。
ちなみに私の記憶が碓かならば、私には今回の出来事の「任命責任」はありません。マイノリティーでした。

投稿: 佐藤 計 | 2009年2月23日 (月) 12時18分

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