なぜ自分は書物を書くのか?
スイスの精神科医ポール・トゥルニエがその著書『人生を変えるもの』の序文で、この問いについて書いている。
そこにはこの同じ設問についてのパリ生まれのアメリカ人女性アナイス・ニンの言葉が引用されている。
「人が書物を書くのは、自分が住みやすい世界を作るためである」
そして、トゥルニエにとっての住みやすい世界とは、「人間同士の間に誠の触れ合いが存在する世界すなわち、互いに心を開くことができ、互いにこうして真実の自分自身になるために助け合うことができる世界」であると書かれている。
私がこの場で記事を書く動機も、恐らくこの二人の先達と同じである。
自分が住みやすい世界、そしてそれは誰にとっても住みやすい世界でなければならない。
トゥルニエが語る住みやすい世界とは、今の私の言葉で表現すれば、全ての人々が人格的な「ひとりの人」すなわちパーソナルな存在として自覚を持ち、しかも尊重される世界である。
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コメント
なるほどねー。
投稿: けいぞう | 2009年3月 7日 (土) 14時57分
私は精神的な病をもった方々始め、色んな方々が集まるシンプルライフと言う集まりをしているのですが、本当にこのふれあいのためにやっています。
時には、勿論、傷つけあう時もありますが、「本音」の世界なんですね。
各自の病や重荷がなんであっても、皆そこでは病人でなく、人間なんですね。
そういう場がふえればな、と思います。
いつも熱い文章感謝します。
投稿: びすこコーロギ | 2009年3月 9日 (月) 08時40分
びすこコーロギ さんいつも心のこもったコメントありがとうございます。
>各自の病や重荷がなんであっても、皆そこでは病人でなく、人間なんですね。
これって本当に大切なことですよね。
多くの人がそのような前提に立って生活できる世界がいつか来ると良いですね。
投稿: トイフェルスドレック | 2009年3月 9日 (月) 23時57分