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慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。

私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。 Ⅱコリント1:3

今この瞬間も、世界中の多くの人々が慰めを必要としている。

ほんの少し想像力を働かせれば、人類の歴史は常に大いなる慰めを必要としていたことが、誰にでも分かるに違いない。

世界は苦難と悲しみが溢れていて、私たちはいつでも大いなる慰め主を必要としている。

そして聖書は神こそが偉大な慰め主であると証言している。

神は完全なお方であるから神が慰め主であるというとき、それは完全な慰め主を意味する。

私たちには他者の苦しみに対する想像力と、理解によって慰めの言葉を語ることが、確かに可能である。

苦しむ人々も、その慰めの言葉から、確かにある程度の慰めを受けるであろう。

しかし、慰められる者は、自分の苦しみは完全には理解されていないであろうことを知っている。そしてそれは自己憐憫による誤解などではなく、事実である。

私たち人間に、他者の苦しみや痛み、辛さを完全に理解することなど不可能である。

しかし完全な慰め主である神は、禅者牧師と呼ばれた吉田清太郎の言葉を借りれば、「天と心に住む神」であるであるから、私たちの心の隅々までを理解することが可能である。

そればかりか神は私たちの心と身体を創られた方なので、全てのことを知っておられる。

完全な慰め主は、自らがその慰める対象と同等の苦しみ、悲しみを経験していなければならない。

必要なのは経験であって、想像力や理解ではないと私は考える。

なぜなら私たちは、たとえそれがどれほど慈愛に満ちた言葉であろうとも、苦しみの経験を持たない者の慰めを受け入れないからである。

涙とともにパンを食べたものでなければ、人生の味は分からないというゲーテの言葉を、私たちは真実として受け入れる。

私たちの神は、人類の歴史の只中に、ナザレのイエスという一人の人間として入り込み、まさに「涙とともにパンを食べた」お方であり、さらには信頼していた友に裏切られ、誰からも見放され、その十字架の苦しみの極みの中で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか)」とまで叫ばれたお方である。

このように人間の苦しみを極みまで経験されたお方であるから、私たちはこの方の慰めを受け入れることができる。

私たちはそのような完全な慰め主を絶えず必要としているはずである。

慰められる者が神によって慰められるために、どうしても必要なことがただひとつある。それは、神が人間の苦しみを極みまで経験された、まさに完全な慰め主であることを知ることである。

この事実を心から理解し、その神が今も生きて私たちを愛しておられることを知ったとき、私たちはすでに完全な慰めを受けているのである。

また世界が現実に慰められるためには、慰め主には力がなければならない。

世界は病み、呻いている。

しかしここでも私は世界を構成する一人ひとりの人格的な人々、個人に目を向けたい。

一人ひとりの人格を完全に救済する力こそ、世界を慰める力であると私は確信する。

そして「ひとりの人」を完全に救済する神の力は、聖書においては「死者をよみがえらせる」という言葉で完全に表現されている。

そして聖書は、神がイエス・キリストを死者の中からよみがえらせたのと同じように、私たちをよみがえらせてくださると約束している。

私たちの希望は、この主イエス・キリストの復活にこそあるのである。

また私はこれまでの人生においてひとつのよみがえりを経験している。

それは私がイエス・キリストを神として受け入れキリスト者となったという経験である。

これは今のわたしにとっては、「死んでいたのが生き返った」のと全く同じ意味を持っている。

イエス・キリストが語った有名な放蕩息子のたとえ話は、私にそのことを確信させるのに役立つ。

「絶望は死に至る病である」と書いたとき、キェルケゴールは唯一の救いであり、慰めである神を見上げていたのだと私は確信している。

慰められるとは、人が絶望の中で希望を見出すことであると私は考える。

聖書が語る「慈愛の父、すべての慰めの神」を知るとき、私たちには永遠にまで続く希望がある。

このことを覚えるとき、最初に引用した聖書の言葉は、私たちの心からの祈りになる。

私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。

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コメント

あなたの信仰は、
素晴らしいですね!
同じ、キリストものとして、
アーメン!ハレルヤ!
あなたに、豊かな、祝福がありますように!
belleventheart02

投稿: 恵美 | 2009年3月15日 (日) 03時23分

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