« 二つながら神から与えられているもの | トップページ | ハンス・クリスチャン・アンデルセンとの出会い »

春爛漫に神を知る

このところ急に暖かくなり、一気に春めいてきた。

ちょっと散歩に出かければ、正に春爛漫、百花が咲き乱れており、陳腐な言葉ではあるが、今更ながらに自然の美しさに驚嘆する。

特に私の目を惹くのが白い花々と黄色い花々である。

白い花と言えば、雪柳(ユキヤナギ)や小手毬(コデマリ)、白木蓮(ハクモクレン)など。

黄色い花では連翹(レンギョウ)やミモザ、そして何と言っても私の故郷の菜の花畑を思い出させるアブラナが私の心を捉えて止まない。

花々は、明るく優しい春の光の中で、自らの命の輝きを鮮烈に放っている。

次のようなイエス・キリストの言葉が真実であることを、改めて気づかせられる思いである。

しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。 マタイ 6:29~30

また花々を見ていて、気がついたことがある。

花々は日の光に照らされ、風に揺られている瞬間に最も活き活きと、その命を輝かせているように私には感じられたのである。

ヨハネはイエス・キリストを「すべての人を照らすそのまことの光」であると証言している。

また主イエス・キリストご自身が、自ら「わたしは、世の光です。」と証言しておられる。

光とは命を輝かせるものであると私は考えている。

命を輝かせるとは、その命が持っている性質を最大限に引き出すということではないだろうか?

光の中で、雪柳はより雪柳らしく、連翹はより連翹らしく、人間はより人間らしく、その命を輝かせることができるのではないだろうか?

もっと言えば、イエス・キリストという光に照らされて、私という人格は、他の誰とも違う、より自分らしい自分になれるのであると私は考える。

自ら「わたしは、世の光です。」と証言しておられるその同じお方が「あなたがたは、世界の光です。」と、私たちキリスト者について証言しておられる。

ここから私は、私たちキリスト者は世界中の人々が、自分らしい自分になれる世界を実現するために世に生きているのだと考える。

ここで、同じように風についての聖書の言葉にも思いを巡らせてみる。

旧約聖書の多くの箇所において、風は、神の命、神の力、神の働きの象徴とされている。

神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた。それで、神が地の上に風を吹き過ぎさせると、水は引き始めた。 創世記 8:1

あなたが風を吹かせられると、海は彼らを包んでしまった。彼らは大いなる水の中に鉛のように沈んだ。 出エジプト 15:10

数え上げれば切りがない。

そしてイエス・キリストは風を、神の霊すなわち聖霊の象徴として用いた。

風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。 ヨハネ 3:8

ここから、風もまた命を輝かせるものであると私は考える。

春爛漫を愛でつつ、聖書の言葉に思いを巡らせたとき、神がご自身を自然の中にあらわされるお方であることを改めて知った。

今日私にあらわされたのは、春爛漫の力強くも優しい自然であった。

しかし、私たちが経験として知っている通り、自然は優しいだけではない。

自然は人間に支配されるものではなく、殺し、壊し、奪うという恐るべき力をも持っているものである。私たちは、この自然を創られた神は、それ以上に恐るべきお方であることも忘れてはならない。

私たちにとって幸いなことは、神は自然とは違い、人格あるお方であり、そのご人格は、「情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かであられる」ということである。

にほんブログ村 哲学ブログ キリスト教・クリスチャンへ

人気blogランキングへ

|

« 二つながら神から与えられているもの | トップページ | ハンス・クリスチャン・アンデルセンとの出会い »

独白ではなく、対話として・・・」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/415506/28705960

この記事へのトラックバック一覧です: 春爛漫に神を知る:

« 二つながら神から与えられているもの | トップページ | ハンス・クリスチャン・アンデルセンとの出会い »