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アニメ映画『銀河鉄道の夜』

宮沢賢治の同名の童話のアニメ化である。

『銀河鉄道の夜』は賢治の遺作でもあり、未定稿のまま遺されたことや、多くの造語が使われていることなどもあって、研究家の間でも様々な解釈が行われている。

幻想的かつ壮大なスケールと哲学的な疑問を投げかけていながらもそれと意識させない緻密なストーリーは、幻視者と呼ばれた詩人、賢治の真骨頂であろう。

今回紹介するアニメ映画は『あらしのよるに』などで知られる杉井ギサブロー監督による1985年の作品である。

この作品の最大の特徴は、漫画家ますむらひろしの原案とキャラクターデザインによって主要な登場人物が擬人化した猫として描かれていることである。

賢治の実弟である宮沢清六や多くの研究家は、当時この点に最後まで反発したというが、私としてはこの脚色こそが、この作品に幻想無比な雰囲気を与えているものであり、最大の魅力であると考える。

この作品の素晴らしさは、上述のような奇抜な脚色を加えていながら、原作の物語にのみ忠実であったのではなく、作品の持つ空気をこそ大切にしたことにあったのではないかと思う。

幻視者と呼ばれた宮沢賢治の詩的な言の葉と幻想的な映像とがみごとに絡み合い、この作品は二重の詩情を持っている。

映像詩という表現はこのような作品にこそふさわしい。

この映像詩に音楽をつけているのは、元YMOの細野晴臣である。

エンディングでは細野晴臣の音楽に合わせて賢治の詩集『春と修羅』の「序」の一節が朗読される。

わたくしといふ現象は
假定(かてい)された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鑛質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです

『銀河鉄道の夜』のエンディングに、この一節が朗読されることは非常にふさわしく、私にとって大変好ましいものであると思われた。

私は賢治の研究者ではないので、賢治がどのような意味や隠喩を込めてこの一節をしたためたのであるのか、はっきりとしたところは解らない。

しかし、かつて10代の頃、この一節に初めて出会ったとき、詩人の偉大さというものを感じたのである。

この一節によって私は、詩人という存在が人間の実存に対するひらめきと深い洞察を持った存在であることを知った。

また詩人は魂の不滅を信じているのであると知ったのである。

現在の私はキリスト者であり、魂の不滅とそれ以上のものを信じている。

賢治は『銀河鉄道の夜』の中でキリスト教の救済信仰を取り扱っている。

もしいつか私が賢治の魂が今いる場所に行くことがあったなら、魂の不滅について、またそれ以上のものについて、彼とぜひ語り明かしたものである。

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