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「学習」とは、、高度に人格的な営みである

近年「生涯学習」ということがしきりに叫ばれている。

私としても「学習」は人間存在にとって重要且つ必要不可欠な営みであると考えている。

そこでここでは、「学習」について、最も的確に解説をしていると私が考えている記事を紹介したいと思う。

「学習」とは人間と人間との交流の中で行われる、高度に人格的な営みである。そこでは、師と弟子、先生と学生、親と子どもという人格関係が存在する。そうした関係のもとで、精神は訓練され、想像力は鍛錬され、さまざまな理念が開花し、もろもろの概念が試験され、行動習慣が成熟していくのであって、そこではあらゆるものが重要であり、人格基盤を形成するための体系を成しているのである。真の「学習」においては精神と肉体の分裂は存在しない。「学習」は内なるものと外なるものとの統合を促し、外的世界と内的精神の統合を促す。古典的な「学習」の方法はすべて人格的なものであった。すなわち、対話であり、模倣であり、討論であった。弟子は師が学んでいるところを観察し、師は弟子が学んでいるところを観察した。「学習」は、身振り、声音、態度、リズム、感情、愛情、賞賛によって表現されるいろいろな関係を通して進んでいった。そうして、これらすべての出来事は話し言葉の海のなかで(声と沈黙の中で)起こったのである。
                                       E.H.ピーターソン・著(越川弘英・訳)『牧会者の神学』より

ピーターソンによれば「学習」という「人格的な営み」を通しては「精神は訓練され、想像力は鍛錬され、さまざまな理念が開花し、もろもろの概念が試験され、行動習慣が成熟していく」のであり、さらには「内なるものと外なるもの」また「外的世界と内的精神」の統合が促されるのである。

逆説的には、もしこのようなものでなければ「学習」と呼ぶことは出来ないと、ピーターソンは指摘しているのである。

またこの記事には私にとって素晴らしい知恵が示唆されている。

すなわち、人間が人格的な存在として他者と接していく限り、それらは全て「学習」となる可能性を秘めているのであると私には考えられるのである。

キーワードは「人格的な営み」である。

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