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Forget your perfect offering

 これは前回の記事で紹介したレナード・コーエンの『Anthem』の歌詞の一文である。

 Forget your perfect offering.

 There is crack in  everything.

 That’s how the light get in.

 この文章を私は次のように訳した。

 貴方のなんの瑕疵(かし)もない供物(くもつ)のことは忘れてしまおう

 あらゆるものには疵(きず)があり、

 そこから光が入ってくるのだから

 語学力も詩心もない私であるが、キリスト教信仰者として、敬虔なユダヤ教の背景を持つ稀代の詩人であるレナード・コーエンのこの詩の言の葉に心動かされた人間として、どうしてもこの言葉から私が受け取っているメッセージを一人でも多くの人に伝えたいと考えたのだが、身の丈を越えたことをしてしまったようにも思う。

 しかし、私の訳はともかくとして「Forget your perfect offering」という言葉と、それに続く「There is crack in  everything.」「That’s how the light get in.」という一連の言葉は、神の御前に生きる「ひとりの人間」としての私の心に深く刻み込まれている。

 「offering」とは文字通りには「提供されるもの」であるが、英語の聖書においては、神への「供え物」や「いけにえ」という意味で用いられている。

 「供え物」或いは「いけにえ」という言葉は、一般の日本人には全くなじみのない言葉であろうが、繰り返しになるが、敬虔なユダヤ教の背景を持つコーエンが『Anthem』と題して書いている詩においては、「offering」をその意味で用いていることについては疑いの余地もない。

 ここで問題となるのは、ここで忘れるように進められている「perfect offering」とは一体いかなる意味であるのかということである。

 私の理解では、聖書はある意味では、私たち信仰者に対して、私たちの全生涯を「きずのない完全ないけにえ」として神の御前におささげするようにと勧めている。

 その意味では信仰者こそ神にささげられるべき「perfect offering」なのである。

 しかし「いけにえ」とは「ささげられるもの」すなわち客体であって、「ささげる」主体あってこその存在である。

 旧約聖書の時代、「礼拝」において「いけにえ」を「ささげる」主体は祭司であった。

 では現代においてはどうか。

 マルティン・ルターによる宗教改革以降のプロテスタントの伝統によれば、「万人祭司」という言葉で表現される通り、すべての信仰者が祭司であるとされている。

 つまりここにおいては神にささげられる客体としての「いけにえ」である信仰者が、同時に「いけにえ」をささげる主体、すなわち「祭司」でもあるという矛盾が発生しているのである。

 しかし、このような矛盾を実現することこそが、実はキリスト教の最大の特徴の一つであり、他の宗教には見られないユニークさでもあると、私は確信している。

 これは、同じ旧約聖書を正典とするユダヤ教やイスラム教にも見られない特徴である。

 なぜならば、このような矛盾を克服するダイナミックさは、正当なキリスト教のみが持つ、三位一体の教理に由来するからである。

 込み入った専門の話は控えるが、ともかく三位一体の神秘とは、我々には完全には理解できないものであるが、しかし、信ずるに価する論理性とともに、長いキリスト教の歴史の中で、多くの試金石によって試されてきた真理である。

 まさに、これなくしてはキリスト教信仰はありえないというような代物である。

 ここで話を「祭司」と「いけにえ」に戻したい。

 私の理解では「きずのない完全ないけにえ(perfect offering)」として私の全生涯を神の御前にささげることを可能にするのは、私の内におられる「神の霊」すなわち三位一体の一位格である「聖霊」の働きである。

 しかし、私は時々このことを忘れて、私自身の力でそれを行おうとする。

 それはいわゆる「善行を積む」というやり方や、「熱心に祈る」という方法で行われる。

 しかし、そこには神に対する「見せびらかし」があるだけであり、聖書が「真の礼拝」の条件としてあげている「霊とまこと」は見られないのである。

 その時、私の心に響いてくる言葉こそ、コーエンの「Forget your perfect offering」である。

 すなわち「your perfect offering」とは、私にとっては「お前が完全だと考えている自分勝手ないけにえ」という意味なのだ。

 「そんなもののことは忘れてしまえ」という言葉が天から降ってくるのである。

 「この世はひび割れだらけで、お前のひび割れはその中でも一番ひどい、しかし、歓べ、そのひび割れから、お前の世界に光は満ち溢れるのだ。」

 「そしてその光とはイエス・キリストの救いの光だ」

 Ring the bells

 That still  can ring.

 Forget your perfect offering.

 There is crack in  everything.

 That’s how the light get in.

 「鐘を鳴らせ、それが鳴り響くかぎり」

 「お前の自分かってないけにえなど捨てて、忘れてしまえ」

 「そしてお前自身のひどいひび割れ、すべての傷口から溢れ出る光を受け入れろ」

 「鐘の音を響かせるのだ、歓びの鐘の音を」

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