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『キリスト教信仰和讃 その二』

 振り返ると3年以上この詩についての記事を書き続けている。しかしこの詩は、私にとっていつまでも古くならず、新鮮な気づきと喜びをを与え続けている。

 『キリスト教信仰和讃 その二』を初めて記事にするに当って、ここで改めて、「その一」と並べて『キリスト教信仰和讃』の前文を収めたいと思う。

『キリスト教信仰和讃』

その一
一、天と心にすむ神の、み声を心でよく聞いて、
 働きましょう、学びましょう、
 善きことしましょう、どこにても。

二、人は神の内に住み、神は人のうちに住む、
 魚と水との如くにて、人と神とは一体だ。

三、人を大事にしているは、神を大事にするのです、
 人を粗末にしているは、神を粗末にするのです。

四、小さい小さい親切も、天と心に住む神は、
 一つ一つ喜びて、一つ一つむくいます。

五、神のむくいが来る時は、おそい早いはあるけれど、
 おそい時にはおそいほど、神のむくいは多くなる。

六、苦しい時には神さまに、ただちにお祈り致しましょう、
 楽しい時には神さまに、ただちにお礼を申しましょう。

七、もし間違いをした時は、ただちにおわびを致しましょう、
 天と心に住む神は、必ず聞いてくだされる。

その二
一、正しい賢い福(さいわ)いな、人になろうと思うたら、
 気のつくことは直(じき)になし、気が咎(とが)めたらせぬがよい。

二、気のつくことも咎むるも、親がその子を守るよう、
 夜でも昼でも神さまが、我らを守るみ声です。

三、釈迦も孔子もキリストも、ソクラテースも皆ともに、
 気のつくことは直になし、気が咎めたらせぬのです。

四、大事小事の区別なく、出来ない時にはお祈りし、
 気のつくことはせにゃならん、気が咎めたらしちゃならぬ。

五、マーとかシカシなど言うて、気のつくことを直にせず、
 咎むることをするならば、いつも後悔するばかり。

六、何でも何処でも何時にても、気のつくことは直になし、
 咎むることをせぬならば、決して後悔いたしません。

 このように改めて通して読むと、その内容の深さと解りやすさ、韻律の美しさ、また作者である吉田清太郎牧師の神と人、また子供たちに対する愛情の深さが実感させられる。

 また「その一」については、長々と時間を掛けて不遜にも「解説」などと称して色々なことを書いたが、今にして思えばそれらは「解説」などではなく、この素晴らしい詩に対する私の「応答」であり「黙想」のスケッチであったように思う。

 それも不完全で稚拙なスケッチであった。

 それでも一度始めたことなので、一先ずはスケッチを続けたいと思う。

 前回に見たように「その一」の主題はこの詩の第一節、第一の言葉である「天と心にすむ神」、すなわち「偏在するとともに信仰者一人ひとりのうちに内在される神」であり、この神と私たち信仰者の関係についてが詳しく語られていた。

 それでは「その二」の主題は何であるかと言えば、それはやはり「その二」の第一節、第一の言葉である「正しい賢い福(さいわ)いな、人になろうと思うたら」である。

 ここから、もし「その一」を非常に単純化して、「神と人との関係を示す」ものと考えるとすれば、「その二」はそれでは「人は如何にして生きるべきかを示す」ものと考えることができると思う。

 このように考えると、この『キリスト教信仰和讃』が益々素晴らしい構成をもった詩であるということが解る。

 なぜならば、最初に、「神と人との関係」を示し、その後に「人は如何にして生きるべきか」を示すという構成は、聖書に見られる「十戒」や「主の祈り」と共通するからである。

 「その二」の主題が「人は如何にして生きるべきか」だとすると、それを展開させる鍵句(キーワード)は「気のつくことは直(じき)になし、気が咎(とが)めたらせぬがよい。」である。

 はっきり言えば「その二」は、「その一」以上に単純で解りやすい内容であり「気のつくことは直になし、気が咎めたらせぬ」という鍵句の繰り返しで、この一事だけを奨励しているのである。

 「気のつくことは直になし、気が咎めたらせぬ」、これが、私たちの生涯を「正しい賢い福(さいわ)いな」ものにするために唯一心に留めるべきことなのであると吉田牧師は勧めているのである。

 しかしこの単純な行動の使信を実行することのなんと難しいことか。

 それで私たちの人生は「いつも後悔するばかり」である。

 だからこそ私たちは「その一」に示されている神との関係へ帰って往かざるを得ないのである。

 現時点では『キリスト教信仰和讃』 についての、私のスケッチは語り尽くされたように思う。

 以後機会があれば、禅者牧師、吉田清太郎師のその他の言葉なども記事にして行ければと考えている。

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