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おてんと様のお使い

 今日も金子みすゞさんの詩をひとつ紹介したいと思います。

日の光

   おてんと様のお使いが
   そろって空をたちました。
   みちで出会ったみなみ風、
   (何しに、どこへ。)とききました。

   ひとりは答えていいました。
   (この「明るさ」を地にまくの、
   みんながお仕事できるよう。)

   ひとりはさもさもうれしそう。
   (わたしはお花をさかせるの、
   世界をたのしくするために。)

   ひとりはやさしく、おとなしく、
   (わたしはきよいたましいの、
   のぼるそり橋かけるのよ。)

   のこったひとりはさみしそう。
   (わたしは「かげ」をつくるため、
   やっぱり一しょにまいります。)

 「おてんと様のお使い」

 なんとも心の温まる響きを持っている言葉である。

 これは単純には、誰にでも、その人に与えられた役割があるということを詠った詩であるように読むことができる。 

 そして自分がこの世に生まれた理由、生きる目的はいったいなんなのだろうかと考えさせられる。 

 3人目までの答えには、誰もが幸福を感じる、やさしい響きがある。

 私もそのような者でありたいと思わされる。

 しかし「のこったひとり」は、どうか。

 ここで私は考えるのであるが、この詩の読者がもっとも共感を抱きやすいのは、この「のこったひとり」なのではないだろうか。

 私たちは皆、「明るさ」を地にまいたり、お花をさかせたりしたいのである。

 「きよいたましいの、のぼるそり橋かける」などというのは、本当に特別な、栄誉ある使命であるから、まるで夢のようなものである。

 しかし現実には、私たちは「かげ」をつくる者でしかない。

 誰もが、一生で一度はそのように考えるのではないだろうか。

 作者である金子みすゞさんが、具体的にはどのような意味で「かげ」をつくるという言葉を使っているのかは解らない。

 「つまらない当たり前の仕事」という意味だろうか、或いは、人生の闇、影などというよりネガティブなイメージであろうか。

 私としては恐らく前者であったのではないかと考えているが、それにしても「のこったひとりはさみしそう」であったと詠われている。

 ところでこの「お使いたち」を遣わした「おてんと様」は、いったいどんな気持ちで彼らを見送ったのだろうか。

 遣わすからには理由があり、その理由のすべてが大切で必要なことであったに違いないのだ。

 ここからは、私の空想話である。

 「かげ」をつくるために地上にやってきた「お使い」は、ある日、自分の仕事がつまらないのでさぼってしまいました。

 すると、この世界から「かげ」という「かげ」は一つも無くなってしまいました。

 すると「お使い」の耳には、どこからともなく、子どもたちの声が聞こえてきました。

 「きょうはなぜだか「かげ」ができない。これでは「かげふみ」ができない」

 「わたしはあの岬の灯台の、「かげ」が動くのを見るのが大好きなのに、きょうは「かげ」が見えない」

 「「おてんと様」があんなに照っているのに、「かげ」ができないなんて、なんだか気味が悪いやい」

 仕舞いにある女の子が泣きそうな声で言いました。

 「「おてんと様」はご病気かしら」

 これを聞いて、「お使い」は、びっくりしました。

 今までは、自分の仕事なんて、あってもなくても変わらない、どうでもいい、つまらない仕事だと思っていたのに、どうやらそうでは無いらしい。

 あわてて「お使い」は仕事にとりかかりました。

 あらゆるものの「かげ」が元どおりにあらわれました。

 「わーい、これできょうも「かげふみ」をして遊べる」

 「灯台の「かげ」も帰ってきたわ。それになんだか、いつもよりくっきり、はっきりしてるみたい。」

 そしてさきほど泣きそうだった女の子は、

 「ああ、良かった。「おてんと様」がお元気になったのね」

 ととても嬉しそうに言いました。

 それを聞いて「お使い」も、とても嬉しい気持ちになりました。

 なんだか、誇らしい気もしました。

 「わーい、嬉しいな、ぼくがつくる「かげ」で、みんながこんなに喜んでくれるなんて。「おてんと様」が、こんなに素敵なお仕事をぼくにまかせてくださってたなんて、ぼくはぜんぜん知らなかったなぁ」

 それからは「お使い」は、一日も休まずに、まいにち「かげ」をつくりつづけています。

 それを見て「おてんと様」もとても嬉しそうに輝いていました。

 チャンチャン♪

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