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ヘンリ・ナウエンから学ぶ「聖なる空虚さ」(エンプティネス)

 ある禅師の所に一人の教授がやって来て、禅について質問した。禅師はお茶をもてなし、客人の茶碗にお茶を注いだ。お茶が碗から溢れ出ても禅師は注ぎ続けるのをじっと見ていた教授は、もうがまんができなくなり、こう言った。
 「もう溢れています。それ以上は入りません」
 「これと同じだ」と禅師が答えた。
 「あなたの頭は、自分の考えや思い込みでいっぱいだ。あなたの頭を空っぽにしなければ、 どうしてあなたに禅を教えることができようか」                 
ヘンリ・ナウエン(著)『静まりから生まれるもの』より

 これはいわゆる禅問答であろうが、それにしては内容は分かりやすい。そしてこれを挿話として引用しているのはカトリックの司祭である。

 ナウエンはこの挿話に続いて次のように書いている。

 愛の配慮をするということは、まず自分の茶碗を空にして、他の人がそばに近づいて来ることを許すことです。

 またナウエンは別の著書『放蕩息子の帰郷』においてレンブラントの絵画『放蕩息子の帰郷』を黙想の題材として、この主題をさらに深め、私たち人間のすべてを受け入れる父なる神の愛の深さを「空(から)(虚空)」という言葉で表現している。

 レンブラントの描く父は、苦難によってすっかり空(虚空)にさせられた人だ。多くの「死」の苦しみを通し、受けること、与えることにおいて、彼はすっかり自由になった。彼の差し伸べる二つの手は、乞うことも、つかむことも、要求も、警告も、裁きも、断罪もしない。それは祝福し、すべてを与え、何も期待しない両手だ。

 レンブラントは父を、子どもたちの生き方を超越した人間として描いている。そこには、彼自身が感じた孤独と怒りがあったことだろう。しかしそれらは、苦しみと涙によって変えられてきた。彼の孤独は、果てしなく深まる静まり(ソリチュード)となり、怒りは、尽きることのない感謝となった。このような人にこそ、わたしはならねばならない。父の持つ虚空と憐れみ深さの底知れぬ美しさを見るように、わたしはいま、それをはっきり見ている。わたしは、自分の内の弟息子と兄息子を、憐れみあふれる成熟した父へと成長させていけるだろうか?                                    『放蕩息子の帰郷』より

 ナウエンがレンブラントの絵画に見た「父の虚空」を私は父なる神における「聖なる空虚さ」(エンプティネス)と呼びたい。

 またナウエンは別のところで以下のような記事も書いている。

 「私たちは、貧しさに触れたと思うたびに、その先にもっと大きな貧しさがあることに気づかされる。そこにはもはや、富、財産、成功、喝采、賞賛の世界に戻れる道はない。物質的な貧しさの向こうに精神的貧しさがあり、精神的貧しさの向こうに霊的貧しさがある。その向こうには何もない(ナッシング)。つまり、神の慈しみ深さに身を投げ出す信頼のほか、何もない。慈しみがある以外、何もない場所へは、ただ、イエスと共に行くことだけが可能だ。そこは、イエスがこう叫ばれた場所である。『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。』そこはまた、イエスが新しい命に復活された場所でもある。」                        (『明日への道』一九八五年十二月八日の日記)

 私たち人間の虚しさ、あらゆる「無」(ナッシング)を十字架の上のイエス・キリストに在ってすべて包み込む、父なる神の、否、三位一体の神のうちにある「聖なる空虚さ」(エンプティネス)という新しい洞察は、私たち信仰者に大きな平安をもたらす、まさしく福音である。

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コメント

わが神、わが神なぜ私をお見捨てになったのですか。なぞの言葉ですね。

投稿: ジェネシス | 2010年11月18日 (木) 02時21分

ジェネシスさんコメントありがとうございます。

聖書に記された大いなる“なぞ”について、真剣に向かい合い続けることは、私たち信仰者の大切な使命の一つなのでしょうね。

投稿: トイフェルスドレック | 2010年11月20日 (土) 00時31分

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