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『戦場のメリークリスマス』からファーザー・クリスマスについて

クリスマスの主であるイエス・キリストは、平和の主である。

ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。                    イザヤ書 9章6節

それでクリスマスには、世界中で平和のための祈りがささげられるのである。

クリスマスには敵も味方もなく、ただ静けさと清らかさだけが残る。

ファーザー・クリスマスと言えばだれもがサンタクロースをイメージするであろし、私もサンタクロースは大好きである。

サンタクロースのモデルと言われる正教会の聖人ミラのニコラオスは貧しい人々や冤罪の人々を救った英雄であり、子どもの守護聖人である。

サンタクロースは現代において、世界中でクリスマスを代表する人格として、愛と平和、そして贈り物(これはすなわち、突き詰めれば奉仕、或いは自己犠牲の精神である)の象徴であり続けている。

そしてサンタクロースは世界中で愛されている。

ここで考えて欲しいことがある。

「愛」と「平和」と「贈り物」というサンタクロースのイメージは、すべてイエス・キリストに帰されるべき特性である。

上に引用した聖書の言葉の中で、みどりご=イエス・キリストには「平和の君」と並んで「永遠の父」という名が冠せられている。

すなわち、本当のファーザー・クリスマス(クリスマスの父)とはイエス・キリストなのである。

ここでまた、聖書から今度はイエス・キリストご自身のことばを引用したい。

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
                                マタイの福音書5章9節

ファーザー・クリスマスであるイエス・キリストは、多くの子どもたちを持っている。

その子どもたちによって、クリスマスには毎年、世界中で平和が祈られ、愛が実践されている。

それで私たちは「クリスマスの平和と奇蹟」について、多くの言い伝えを聞いている。

それらのすべてをここで数え上げることはとても出来ない。

ただ私の願うことは、私もまた「平和をつくる者」であり続けたいということである。

終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、国々の民はそこに流れて来る。
多くの異邦の民が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。
主は多くの国々の民の間をさばき、遠く離れた強い国々に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。
彼らはみな、おのおの自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下にすわり、彼らを脅かす者はいない。まことに、万軍の主の御口が告げられる。
                                  ミカ書4章1節~4節

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