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現代の賢明な人たちに一言~オー・ヘンリー作『賢者の贈りもの』より

クリスマスの時期に繰り返し語られる物語のひとつに、二十世紀初期に活躍し、今なお世界中で愛されているアメリカの短編作家オー・ヘンリーの『賢者の贈りもの』がある。

 デラは三度数え直した。一ドル八十七セント。そして明日はもうクリスマスだった。
 みすぼらしい小さなソファに身を投げ出して、おいおい泣くよりほかに手はなかった。だからデラは泣いた。そうなると考えたくなる―人生は「むせび泣き」と「すすり泣き」と「微笑み」から成り立っているのだと。なかでは「すすり泣き」がいちばん多くを占めているのだが。 

 ところで、ジェイムズ・ディリンガム・ヤング夫妻には自慢の宝がふたつあった。ひとつは、ジムが父から、いや、祖父から、譲られた金時計だった。もうひとつはデラの髪だった。

 ひとしきり泣き終わると、デラはある決心をして家を出た。

 彼女が足をとめたところには、看板が出ていた。
 「かつら類一式 マダム・ソフロニイ」
 
 大柄で、色の白すぎる、冷ややかな感じのマダムは、「ソフロニイ」(「聡明」を意味するギリシャ語源の女性の名)らしくは見えなかった。
 「私の髪を買って下さる?」とデラは言った。

 「二十ドルね」と女主人はなれた手つきで髪の房を持ちあげながら言った。
 「ではすぐください」
 ああ、それからの二時間、時はばら色の翼にのって軽やかに飛んでいった。

 それはまさにジムにふさわしかった。地味さと価値―その形容がジムと鎖の両方に当てはまった。代金は二十一ドルだった。

 家に帰ると、興奮がさめて、分別と理性が少し戻ってきた。

 「どうか神様、あの人にいまでも私を美しいと思わせてください」

 ドアが開いて、ジムが入ってきて、ドアを閉めた。

 「髪を切ってしまったのか?」とジムはようやく、どんなにけんめいに考えても明白な事実を理解できないかのように、言った。
 
 「ぼくを誤解しないでくれ、デラ」と彼は言った。「髪を切ろうと、顔を剃ろうと、シャンプーしようと、そんなことで妻が好きでなくなるようなことはないさ。だがその包みを開けたら、ぼくがどうして最初呆然となったか、理由が分かるよ」
 白い指がすばやく紐と紙をひきちぎった。それから我を忘れた歓声。だが、ああ、それが次の瞬間女性特有のヒステリックな涙と号泣に早変わりし、その部屋の主人はあらゆる手をつくして妻を慰めねばならなかった。
 そこには櫛がはいっていたのだ―デラがかねがねあこがれていた、ブロードウェイのウィンドーに飾ってあった、横髪と後ろ髪用のセットの櫛が。

 「私の髪はとても早く伸びるわ、ジム」

 ジムはまだデラの美しいプレゼントを見ていなかった。デラはそれを手の平にのせて、いそいそと彼に差し出した。
 
 「しゃれてない?ジム。町中探して、見つけてきたのよ。これからは一日に百回も時計を見ないではいられなくなるわ。さあ、時計を出して!時計につけたら、どんなに美しいか見てみたいわ」

 ジムは言われた通りにはしないで、ソファに寝転がると頭の後ろに両手を廻して、微笑した。
 「デラ」と彼は言った。「ぼくたちのクリスマス・プレゼントはかたづけて、しばらくしまっておこう。いま使うには立派すぎるよ。櫛を買うお金を作ろうと思って、ぼくはあの時計を売ってしまったんだ。さあ、チョップを火にかけてくれないか」

 ところでここに私がつっかえつっかえ語ったのは、自分たちのいちばん大切な宝をお互いのためにいとも愚かしく犠牲にしてしまった、アパート住まいの愚かな二人の人の子のたいした波瀾もない物語なのだ。だが最後に現代の賢明な人たちに一言言っておくと、人にものを贈る人のなかで、彼らのような人間こそもっとも賢明なのだ。世界のどこに住んでいようと、彼らこそもっとも賢明なのだ。彼らこそ東方の賢者なのである。

 この物語を語った、オー・ヘンリーこそは賢者である。

 この賢者は、人間を深く愛し、また人間についてよく理解していた。

 そこで賢者はこう語ったのである。

 人生は「むせび泣き」と「すすり泣き」と「微笑み」から成り立っている

 そして、そのなかで「すすり泣き」がいちばん多くを占めているのであると。

 その同じ賢者が、この物語を通してもっとも語りたかった内容は、クリスマスの本当の意味についてであった。

 そしてそれは、デラとジムがそうしたように、自分のかけがいのない宝さえも「惜しまずに与える心」である。

 「現代の賢明な人たちに」、これは最大限の皮肉を込めた言葉であった。

 クリスマスの心は「惜しまずに与える心」である、「現代の賢明な人たち」は、果たしてそれを理解しているのだろうか?

 ところでオー・ヘンリーは、なにを根拠にクリスマスの心は「惜しまずに与える心」であると迷わずに言い切っているのだろうか?

 それはオー・ヘンリーが世界で最初のクリスマスに、何が起こったのかを知っていたからである。

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
                               ヨハネの福音書3章16節

 「惜しまずに与える心」とは愛である。

 神のひとり子であるイエス・キリストは十字架において、愛する人々のために、自らの命を捧げた。

 愛だけが、かけがいのない宝、いやそれ以上のもの、自らの命さえ「惜しまずに与える」ことを可能にしたのである。

 現代の賢明な人たちよ、どうかこのことを忘れないで欲しい。

 オー・ヘンリーのこの皮肉な言葉には、怒りさえも込められていると私には感じられる。

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