« 「ギブ・キッズ・ザ・ワールド」 | トップページ | 臨床福祉学という「学」について »

『フィッシュストーリー』

伊坂幸太郎の『フィッシュストーリー』という小説の中に、以下のように同様の形式を持つ3つの文章がある。

『僕の孤独が魚だとしたら、そのあまりの巨大さと獰猛さに、鯨でさえ逃げ出すに違いない』

『僕の勇気が魚だとしたら、そのあまりの巨大さと若さで、陽光の跳ね返った川面をさらに輝かせるだろう』

『僕の挫折が魚だとしたら、そのあまりの悲痛さと滑稽さに、川にも海にも棲み処がなくなるだろう』

この作品に限らず伊坂幸太郎の作品には機知に富んだ台詞や文章が多い。

そして伊坂幸太郎という作家は、しっかりとした世界観を持ち、さらに常識と良識も兼ね備えている。そしてこの世界は今よりも良いものになることができると信じているのではないかと私は考えている。

伊坂幸太郎という作家について、或いは伊坂作品について語りたいことは沢山ある。

しかし今回は、『フィッシュストーリー』について、特に上述の引用文から私が受けたインスパイアについてのみ記事にしたいと思う。

『フィッシュストーリー』というのは伊坂幸太郎の13作品目の著作である「動物園のエンジン、「サクリファイス」、「フィッシュストーリー」、「ポテチ」の4つの短編作品が収録されている短編集のタイトルであり、収録された一短編のタイトルであり、作中に登場するロックバンドの最後のアルバムに収録されている楽曲のタイトルでもある。

短編集のタイトルとしての『フィッシュストーリー』の意味は、釣り師が、自分の釣果を実際より誇張して言いがちなことに由来する英語の慣用句から、ほら話、大げさな話、作り話という意味を持っているようである。

そして収録された短編すべてに、そのような意味での「フィッシュストーリー」という雰囲気がよく表現されている。

私も「フィッシュストーリー(ほら話)」が大好きである。

「私も」というのは、恐らく伊坂幸太郎もそうであるに違いないからである。

「フィッシュストーリー」はけっして嘘という意味ではない。

ある場合には「フィッシュストーリー」は、物語を聞くものへの「愛」であり「配慮」でさえあると私は考えている。

私の大好きな映画監督ティム・バートンの『ビッグ・フィッシュ』という映画は、その好例であろう。

そこで私も、キリスト者として「フィッシュストーリー」をひとつ考えてみた。

「僕の信仰が魚だとしたら、そのあまりの矮小さと軽薄さに、メダカもアメンボも声をあげて笑うだろう。そしてそれを見て、天の父はやさしく微笑むだろう。神の寛容は、限りもなく深く、そして温かい。」

にほんブログ村
 哲学ブログ キリスト教・クリスチャンへ

人気blogランキングへ

|

« 「ギブ・キッズ・ザ・ワールド」 | トップページ | 臨床福祉学という「学」について »

独白ではなく、対話として・・・」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/415506/38552426

この記事へのトラックバック一覧です: 『フィッシュストーリー』:

« 「ギブ・キッズ・ザ・ワールド」 | トップページ | 臨床福祉学という「学」について »