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父なる神への請求書

日本救世軍の創始者である山室軍平の若き日の恩人としても知られる、禅者牧師と呼ばれた吉田清太郎牧師について次のような逸話が残されている。

吉田牧師は、金がなくなると、神様に「請求書」を出されたようである。

吉田牧師の『日記』には次のような記事がある。

    請求書
一 金五円〇四銭 牛乳
一 金三円三十六銭 電燈
一 金二円四十八銭 魚
一 金三円 卵
一 金三十銭 洗濯
一 金六円二十四銭 八百屋
一 金十五円三十八銭 米ヤ
一 金九円八銭 チタノヤ
〆金四十四円八十八銭
外ニ 三十円
総計 七十四円八十八銭
右 四、五日の間に御送付下さい。
  神と主の栄光を現わすために。
 昭和九年五月二日 清太郎
                父上様

「チタノヤ」が何を意味するのか不明であったが、その他のものと同じ生活用品に関わる商店の名前であろうか。

ともかく、思わずニヤついてしまうほど率直な請求書であるが、請求先に「父上様」とあることに心を振るわせられる想いがする。

吉田牧師の父なる神に対する信頼は、まさしく幼い子どもが親に信頼するが如き全き信頼である。

私の恩師の一人である石田和男牧師(2008年9月召天)の著書『津山の虹 石田牧師の教会だより』の中に、「独立の信仰」ということが書かれていた。

それは石田先生が『内村鑑三遺墨集』の中の『独立五十年』という記事を読んだときに確信したことであったという。

 信仰とは、神への全き依存です。これ以外の何者でもありません。そして、その依存は、不純なものの介入を微塵も許さない、厳粛な、絶対の依存です。

吉田清太郎牧師の幼子の如き神への信頼の姿は、内村鑑三や石田和男牧師の『独立の信仰』に通ずるものがあると感じる。

表現の仕方は人それぞれであるが、全きキリスト者の信仰とは類似した本質を持っているものであると改めて考えさせられる。

願わくば、私自身の信仰も、そのような先達たちに並ぶもので在らんことを。

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。      マタイの福音書6章33節

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