苦難をともにしているなら
もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。
ローマ人への手紙8章17節
長らく私はこのみことばを誤解していたように思う。
このところでは、私たちがキリストと同じ栄光に与るためには、キリストがかつて地上において、特に十字架の御苦しみを頂点として、苦しまれたのと同じように、現在地上に生きる私たちも苦しみを耐え忍ばなければ成らないということであろうと考えていたのである。
あるいは、かつてキリストが苦難の道を通して栄光を受けたのと同じように、私たちの栄光への道も、キリストが歩んだのと同じ苦難の道であるという示唆であるとも考えていた。
そしておそらくこれは、この聖書箇所についての一般的な理解と一致しているであろう。
しかし、改めてこの箇所を読み黙想していたところ、私はこれまで、この箇所から考えても見なかったキリストの姿を見たのである。
それは、「かつて」十字架において苦しまれたキリストではなく、今まさに、私たちと共に苦しんでおられるキリストの姿であった。
今、私たちの住む日本は3月11日に発生した、東日本大震災の影響による大きな痛みと苦しみの中に在る。
それだけでなく、私たちの世界は、戦争や飢餓や不慮の事故や虐待や差別や傷病のために、目に見える形でも、あるいは目に見えない形でも、常に大きな痛みと苦しみを経験しているのである。
私たちの信仰によれば、救い主であるイエス・キリストは、かつておられた方でなく、今も、そしてとこしえまでも「生きておられる神」である。
そして今も、私たちの苦しみの只中におられる。
そこで私たちも、このお方と、今、「苦しみをともにする」のである。
そしてそれは単に将来の「栄光」のためではなく、「今まさに、キリストとともに苦しんでいる」という「栄光」を受けるためなのである。
そして、このことによって、私たちが事実「神の相続人であり、キリストとの共同相続人」であることが世界に証されるのであると私は信じている。
| 固定リンク
「独白ではなく、対話として・・・」カテゴリの記事
- 「関係性の中で生きる存在」としての「人間」と「宗教」について(2011.07.28)
- 村上春樹のエルサレム賞受賞式のスピーチについて(2011.06.08)
- ハンス・クリスチャン・アンデルセンの『天使』について(2010.11.20)
- 現代の賢明な人たちに一言~オー・ヘンリー作『賢者の贈りもの』より(2010.12.03)
- この聖き夜に~キリエ・エレイソン~(2010.12.18)


コメント